国道195号の大昔
今ある、国道・県道などと同様、国道195号は昔から主要路線でした。
大正時代の道路法制定時にはどんな路線名だったか、なんていうのを勝手に推測してみました。
1本の路線として認められるのは昭和28年の2級国道195号高知木頭徳島線。
それまではいろんな路線が集まって橘から県境までをつないでいました
現在の地名 大正時代の県道路線名・区間・経由地 下線付きが国道195号該当部分
阿南市橘町〜鷲敷町 鷲敷橘線(橘町−桑野村−鷲敷町
鷲敷町〜相生町 鷲敷相生線(鷲敷町−延野村−日和佐町−立江日和佐線)
相生町〜上那賀町 延野甲ノ浦線(延野村−宮浜村−中木頭村平谷−川上村−鞆村−日和佐甲ノ浦線)
上那賀町〜木頭村 奥木頭小松島線(小松島町−棚野村−福原村−宮浜村−奧木頭村
木頭村〜県境 奥木頭大栃線(奧木頭村−奧木頭村県界
奥木頭大栃線は大正12年4月認定。それ以外は大正9年4月認定。
奥木頭小松島線は大正9年認定・12年に奥木頭徳島線に変更
*地名対照*
 延野村−相生町中心部
 宮浜村−上那賀町中心部
 中木頭村平谷−上那賀町平谷
 奧木頭村−木頭村南宇・西宇・折宇・北川あたり
 川上村−海南町神野
 鞆村−たぶん海部町

大正時代の県道一覧の時にも書いたけど、今ある道って昔からあるんだね。なんか面白い。
実際に通れる(徒歩含む)かどうかは別として、霧越峠越えがこのとき既に「みち」として存在してるんだもんな